本稿は、植木雅俊氏による『妙法蓮華経後半六品』の後代成立説を批判し、その背景に観世音菩薩や陀羅尼をめぐる思想的・宗教的対立があると主張している。筆者は、鳩摩羅什による「嘱累品」の移動や観世音菩薩普門品のアレンジは、観音菩薩を他経典(法華経以外の経典)に移入するための布石、具体的には観音菩薩が法華経の附属を受けていないかのような体裁を整える事にあったと推測する。ダーラニー(真言の元となった呪文)についても同様である。また、鳩摩羅什訳の原本とされる写本が現存せず、現在日本で読まれる『法華経』も後代に再編集されたものであると指摘する。こうした点から、筆者は植木氏の学説や鳩摩羅什訳への評価に疑問を呈し、その背後にある思想的意図や信仰上の制約を問題視している。その理由は、次に述べる通りである。
・阿弥陀仏の脇侍である観音勢至菩薩は法華経からの移入である。 ・密教的思想の起源はすべて法華経である。 ・法華経以外の経典に登場する観音は、すべて後代の創作である。 ・十一面観音や千手観音、不空羂索観音は6世紀以降に創作された。 ・密教は三蔵法師による創作である。 ・現存する仏典(サンスクリット写本)のほとんどが三蔵法師によって書かれたものである。 ・無量寿経(48願)も華厳経(十字品以外)も仏駄跋陀羅(ぶっだばっだら359–429年)による創作である。 ・鳩摩羅什(くまらじゅう)が『法華経』を分割したことを認めれば、「題目」(南無妙法蓮華経)の意義そのものが脅かされる。 ・大乗仏教の布教は導師(山岳修行者)によって行われインド北西部から、中央アジアに向かって行われた。 鳩摩羅什以後の大乗経典は中国が起源である。 ・観世音菩薩や普賢菩薩が法華経の附属を受けていては困る。 ・呪文の流行は妙法蓮華経によるものであり、これが孔雀明王経などの初期密教につながった。 ・鳩摩羅什は孔雀明王経を翻訳し、孔雀明王経は偽経とされている。 ・法華経には中国の五行説が登場する。 ・『法華経』の一部である「観世音菩薩普門品(ふもんぼん)」は、天台宗や日蓮系以外の宗派でも通読されている。 ・創価学会は、日蓮こそが本仏――であるというカルト的な信仰を広めているため(したがって、最後の6つの品は軽んじられる)。 ・観世音菩薩が女性の姿へと変身することは、「普門品」の一つ前の章である、「妙音菩薩(みょうおんぼさつ)品」の模倣である。 ・鳩摩羅什による観世音菩薩の三十三身説(さんじゅうさんしんせつ)という教義は、密教に取り込まれた。 ・普賢菩薩(ふげんぼさつ)が六牙(ろくげ)の白象に乗って現れるという描写は、鳩摩羅什による創作である。 ・「十如是(じゅうにょぜ)」という概念は、鳩摩羅什による創作である。